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社会問題

立ち上げについて

「下村満子の生き方塾」なる私塾というか、寺子屋的塾を発足させようという無謀なことを思い立ったのは、昨年(2010年)の6月ごろでした。それも、東京ではなく、私の両親の故郷であり、先祖伝来の地であり、私が10年間、男女共生センター館長を務めた、福島県に、です。なぜ福島なのか、ということですが、常に中央、東京を向いている日本の地方から、逆に全国、そして世界に発信、という気構えです。こんなことを話しても、「気持ちはわかるけど、マジ?」「偉いけど、でも、なぜ福島なの?」など、内心、その実現を本気で受け止めた人は少なかったような気がします。正直、私自身も、どういう形になるかは、見えていませんでした。ただ、「絶対、やる!」という気持ちだけは、なぜか揺るぎませんでした。でも、一年もたたないうちに、開塾式を迎えることが出来たこと、信じられない気持ちです。

しかも、その間に、想像もしなかった、千年に一度といわれるような、大地震、巨大津波、加えて福島は原発事故と放射線汚染という人災の三重苦に襲われました。これは、人類史上初めての経験です。そんな中、「生き方塾」を開塾出来たことは、ほとんど奇跡です。これは、塾生の方々からの「今こそ、この苦難の時こそ、生き方塾です」という、強く、熱い声、気持ち、それが原動力になったとしか言えません。私たちは、いま、何か、大きな天の意志に動かされているような気がしてなりません。もともと、なぜ私がこのようなことを思い立ったかについて、少し説明します。

幼児期に満州で終戦を迎え、日本に引き揚げてきてから今日までの私の道は、まさに日本の敗戦から戦後の復興期、そして
経済大国日本、更にはバブル崩壊から今に至る、激動の戦後日本史とそのまま重なります。それに加え、男女平等を定めた
新憲法下において、戦後の革命的な日本の女性史をそのまま生きてきたという実感もあり、我ながら随分ドラマティックな時代に生を受けたものだと感無量になるとともに、考えようによっては、大変幸運な時代を生きてきたという感謝の思いも抱いています。
ただ、最近、トシをとったせいか、敗戦の廃墟から立ち上がり、死に物狂いの努力の末に世界第二の経済大国にまでなり、
成功のモデルと羨まれてきた日本ではありますが、一方で、経済的に豊かになるにつれ、日本人の心は、貧しくなってきたように思うのは、私だけでしょうか。

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寺子屋 福島

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